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花盛り朗読




歩く習慣

Posted by 小林大輔 on 04.2023 日記
午後は高稲荷公園か、城北中央公園のどちらかを、このところの桜を見るために歩いています。

とは言っても、昨年の暮れから私の足は、長く歩くとどこかに不具合が来るようで、あまり遠距離は歩けなくなったんです。
私の医者のアドバイスとしては
「歩くのだけは欠かさずやってくださいよ。ただし、まあ1日10000歩は現在オーバーですよ。
5000歩前後に留めておいて下さいね。」
と言う。私は忠実にこの助言を守っている。イヤ、治りたい一心で。

昔は10000歩以上歩いても何でもなかったものです。
ところが急に5000歩か6000歩。半分に制限されました。今の所その程度でやめにしています。
それでいて医者は、月1回、左ヒザの半月板に注射を打ってくれます。
これをもうやめようとは言わない。

確かに私の左ヒザは、5000歩前後なら痛みもないようだ。
しかし、いい気になって前のように、それを超すと左ヒザばかりか右ヒザにも痛みが来るような気がして用心ならない。
6000歩前後が、現在の私の限界なのでしょう。
スマホには、今日は何歩歩いたのか記録さるので、これはそれなりに重宝している。
医者の助言に従って、私も6000歩歩けるようになったんだから、これで良しとしなければならないのだろう。
私も今年81歳なんだから・・・

スマホは勿論、写真を撮る事ができる。
ほとんど寝たきりで運動ができない家内のために、高稲荷公園や、川っぷちの城北中央公園の遊歩道の春爛漫の桜を撮影して見せてやる。
「あら、これ綺麗ね・・・」
「あら、もう鴨はいないのね」と言いながら、私の撮った写真を、家内は懐かしがって眺めている。
せめてそれぐらいの事はしてやらないと・・・そう思って、短い道中、写真を撮るのに大わらわ。
家内に見せてやるために。

久しぶりの石神井川の右岸のウォーキング

Posted by 小林大輔 on 17.2023 日記
うちの家内が、そんなわけで病に倒れて以来、実は私も同様に、右ヒザの半月板を痛めてしまい、「1日1万歩」と思っていたウォーキングが出来なくなってしまった。
家内は病床で、ほとんど寝たきり、私は私で、この右ヒザ痛で1日1万歩どころか、全く歩けなくなり、近くの石井病院の石井先生に診ていただく始末。
いやいや、家にいる大人二人が(我が家は大人二人しかいないのだから)家内が病床に伏せていると始末が悪い。

私は何もかも家内に任せていたものですから、余計大変。
家事の事全ても、銀行のナンバーも、お墓のことも、彼女に任せて安心しきっていたものだから、さあ、私は大変!

我が家の庭にはサンシュユが咲き、早咲きの梅やモクレンが咲き、遅咲きの梅や桜も咲いているというのに、またこの季節、例年なら川っぷちの遊歩道を桜を見ながら、スタスタ歩いているのに・・・と思うと残念な事この上もない。

私の症状を詳しく言うと、私は歩くのには不都合が無い。しかしいい気になって長く歩くと、必ず右ヒザが痛くなって、それ以上歩けない。
石井先生に診ていただくと「あなたは歩き過ぎましたネ、年を考えないと・・・」と言われた。
そう言えば私は80歳になっていたのだ。
自分の年齢も忘れて「1日1万歩」などと無理な目標を定めて歩いていたのだ。
年齢を考えないと・・・と思う。まあ、私の年なら6000歩から7000歩にしようと思う。

しかし、石井先生(彼は慶応病院出)のおかげで私の右ヒザの半月板は大いに改善した。
そうすると歩きたくなる私の欲望は、ますます燃え盛る。
毎日1万歩は無理としても、「7000歩は歩きたい!」そう思いながら、石神井川の川っ淵の遊歩道を歩いてみる。
やはりこれをオーバーすると右ヒザの半月板が決まって痛くなる。
やはり私の年では1日7000歩が年相応の限界のようだ。


家内の異変

Posted by 小林大輔 on 18.2023 日記
家内は、私の朗読教室では、アナウンサーだった彼女が大変な業務をやってくれていました。
私も月2回行う私の朗読教室の仕事には、家内こそ適任だと感じて、家内に自由にやってもらっていたのです。
会場は練馬区のリサイクルセンター。私は会場まで月2回の当日は一緒に行き、毎月のテキストも、家内は間違いなく生徒に配ってくれていたのです。
受講料も、これはごくわずかですが、隣の郵便局に残らず入れてくれていました。
こういった補助の仕事は、家内ならではの苦労もあるだろうに、生徒には、彼女は絶大な人気があることから、家内の仕事ぶりに有難い事、良くやるなぁ・・・と私は見ていました。

さて、12月31日、これが今年の我が家の最後の行事です。
これは仕事ではないけれど、富士霊園に二人でお墓参りをし、そのまま地元のいつものホテル、富士ビュー・ホテルに投宿するために足を延ばしました。
富士ビュー・ホテルは私たちの常宿です。富士山が目の前に堂々と見えます。
富士霊園に墓参の帰りには、必ず我々夫婦はここにやってきます。今回も富士ビュー・ホテルに一泊。
翌日は元旦です。お天気は上々。この日は早々に車で家に帰り着き、我が家の猫2匹に食べ物の補給とトイレの始末。
すぐその足で、車で今度は、群馬県のホテル・ヘリテイジに向かいました。
我が家にいたのは、高々1時間ぐらいでしょうか。
ホテル・ヘリテイジも常宿です。フロントにも気心が知れています。早々と予約してあったため、ホテル・ヘリテイジには2泊して少しゆっくりできました。
ここまでは私も家内も、きわめて健康だったんです。

ところが、ここから事態は思いがけず深刻になったんです。
家内は実は昨年暮れ、救急車で大病院に運ばれ、2度ほど軽度の認知症と診断され、何事にも自信を無くしていたのです。
しかし等級を授与されるほどの重さではありませんでした。
異変はホテル・ヘリテイジから戻る車の中で起きました。車の助手席にいる家内の様子が変なのです。
「私、めまいがするわ。ああ、クラクラする、気分が悪いわ。ちょっと寝ていいかしら・・・」
これは救急車で病院に運ばれた時と似ている、前兆だと私は思ったのです。
ホテル・ヘリテイジの会計も、家内が無事に済ませていたし、家内の事態が急変するとは、私には信じられない事態だったのです。

果たして家に帰り着いてから、車を降りるなり、庭先で家内は立てなくなってしまったのです。
辛うじて、家の中の応接間のソファーまで家内を何とか運んできましたが、それから先が大変。
階段を経由して、いつもの2階の自分の部屋に寝かせるまでが一苦労だったのです。
何しろ家内の意識がほとんど無いのですから。

今、家内は自分の部屋で寝ています。自分のベッドで横にはなっていますが、「眠れない、胸がドキドキする・・・」と言い、食欲もほとんどありません。
家内は「フーフー」と荒い呼吸をして寝ています。目が回ると言います。
病院に連れて行こうにも行けないのです。
私は家内が先に亡くなるような事があれば、「残された私は、どうすればいいんだろう・・・」とそんな事まで心配します。

私は何もかも生活のすべてを、しっかり者の家内に任せてきました。その咎に今、悩まされています。
銀行の口座のナンバーも知らないし、それから順番を決めて、何をしたらよいかも、すべて家内任せだったのです。
共に80歳を超えた今、パートナーを失う事の心細さを、今更ながら身に染みて感じているのです。

ボケの進行

Posted by 小林大輔 on 21.2022 日記
慶応義塾大学の付属高校や大学がある日吉に久しぶりに来た。
ここファカルティ・ラウンジを借り受けて、今日は私の朗読会の開催だ。

本来、このファカルティ・ラウンジは、慶応の先生方がお食事やパーティーをなさる広い会場だが、朗読会の一人の主催者・計屋(はかりや)珠江さんは、私にこう言ってくれた。
「ファカルティ・ラウンジに小林さんをお招きするんだから、銀杏並木がすっかり色づいている時が良いわよね。」そう言って私を喜ばせてくれた。

確かに、現地は茫然とするほどの秋の風景だ。
そう、私は東横線日吉駅から信号を渡ると、すぐにある銀杏の巨木が色づいた頃か、あるいは芽吹いた時期が大好きな事を見越して、私にそう言ってくれたのだ。
そう言えば、私は横浜地区では、港北図書館の一室をお借りして、定期的に朗読会をやっていたし、ファカルティ・ラウンジは、いつもお客様を100名ばかり集めて、私の朗読会をやっていた。
横浜とは、朗読が好きな方が多いし、私もせっせと通っていたのを想い出す。
それがコロナのために中断していたのだ。

銀杏並木は、秋も深まったのか、見事に色づいていた。
私はスマホを活用して、写真を撮りまくった。
銀杏並木と言うと、神宮の銀杏並木が有名だけれど、この慶応義塾大学の銀杏並木も負けずに美しい。

コロナが始まってもう3年。これが第8波と言うけれど、この銀杏並木の風景の中に埋没すると、私は景色に見入って、自分の思考が働かなくなっている事がある。
昔はそんな事はなかったんだけど・・・と思う。

実は、私は80歳を超えてから、しばしばそれを経験する。
これがボケと言うものかと自分で思う。
そんな時があっても、まあ良いかと、この時ばかりは、焦りもせず、そんな自分を肯定する。
だから余計ボケが進行する。

もう私も、複雑な思考には、はっきり向かなくなっていると、自分で自分の事を、そう思う。

そこへ行くと、朗読はまだラクだ。
何しろ、そこに字があって、ニュアンスを込めて、それを読めば、それで良いんだからね。

左ヒザの痛み

Posted by 小林大輔 on 26.2022 日記
6年間も、川っ淵の遊歩道や城北中央公園を歩いた足が、突如利かなくなった。
慌てて医者に行って、レントゲンを撮った。
左足の半月板を損傷している。と医者は言う。
左ヒザである。医者に診ていただいたその日から、私の左ヒザは痛みが走るようになった。

どういう痛みかと言うと、左足のどこかを、特にひねるような動作をした時、尋常ではないくらい痛いのだ。
では城北中央公園を、毎日1万歩ほど歩いていた時は、日常どうだったのかと言うと、
雨でも降らない限り、何でもなく、ごく普通に1万歩を、私はスタスタ歩いていたのだ。
レントゲンを撮って、半月板を損傷しているとわかった時点から、私の左足は痛み出したのだ。
「事実を見たならば、これは普通じゃない」と自分で思い知ったのだろうか。

医者にすすめられて、私は反省した。
「現代人として、あなたは歩き過ぎです。毎日1万歩以上なんて多いですよ。健常者でもそんなに歩く必要ないですよ。」
と指摘される。

特にこの3年間は、
「コロナに打ち勝ちたければ、歩くことです」と言う言葉を信じて歩いて来たけれど、少しオーバーだったかもしれない。
だって昔の人は、お伊勢参りの時なんか、1万歩以上歩いていたというではないですか。
私だって、城北中央公園を、毎日1万歩ぐらい歩けない筈はない。

城北中央公園の木々の緑や、川っ淵の遊歩道の桜は、それはそれは気分が良かった。
そう思って、毎日歩いていたのだ。この遊歩道を経由して、公園にたどり着くのが、私は好きだった。

スマホに何歩歩いたかが、毎日記録される。それによると、私は1日に1万歩は歩いていた事になる。私は1日を3回に分けている。
①早朝に川っ淵から城北中央公園を4500歩
②昼食前後に、スポーツクラブのプールで3000歩とスクワット
③夕方にはコースを変えて、約5000歩から多い日は1万歩。
大まかにいうと雨の日もあるから、これでトータル1万歩以上。

私は今年80歳だ。
年も考えて、また歩けるようになったら、次は5000歩ぐらいに留めようと思っている。
それについて医者は何と言うか。医者の意見も聞いてみなくては・・・
損傷した私の半月板だ。半月板に関しては、医者が処方してくれる投薬が唯一の頼りだ。
早く半月板が健常になってくれることを祈るのみだ。
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小林大輔の朗読CD

★朗読CD第1弾「山月記」から、
一部をご紹介します。
CDの解説は下記にある
CDタイトルからご覧ください。


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