FC2ブログ
花盛り朗読


淡島千景さんの護国寺のお墓

Posted by 小林大輔 on 08.2013 日記 0 コメントを投稿
 女優の白石奈緒美さんから、夜自宅に電話があった。
「ねえ、小林さん、淡島千景さんが亡くなって1年なのよ。集まれる人で、明日お墓参りしない?」
 とのことで翌日11時30分、地下鉄有楽町線護国寺出口に集合となった。
 2月はじめとは言え、この日は日射しが明るく暖かかった。

 集ってみると、誰も淡島千景さんのお墓の場所をはっきりとは知らない。
 墓所に迷い込んで、あてずっぽにお目当ての墓を見つけ出すのは、あなたも経験があるでしょう。これが、けっこう難しい。
 
 そこでまず、護国寺の本坊に立ち寄って尋ねた。
「去年亡くなった女優の淡島千景さん、本名中川慶子さんとおっしゃるんですが、お墓はどこでしょう?」
 と墓参客にしてはトンマな質問。
 若いお坊さんは、しばらく調べていたがほどなく
「ああ、中川さんのお墓はここです。」
 と墓地の見取り図を示してくれて、ついでにその図を親切に私達にくれた。

 もらった図を見てみると、中川家のお墓は、本堂のま裏、墓地のメインストリートのその中央。きわめて分りやすいところ。
 
 驚いたのはここから。
 図を見ると中川家のある中央の墓所一角をぐるりと囲むように、名を挙げれば誰でも知っている明治政府の元勲の墓がズラリと占めている。
 しかも、その見取り図には、よく知っている元勲の名前とならんで、今はとっくに無くなった5段階の爵位・公爵から男爵までいちいち丁寧に書き込んである。
 まわりのほとんどの墓が爵位あり。

 私は高野山を訪ねた時、その墓所には、私でも名前を知っている各藩の大名と並んで、亡くなった大企業の経営者が広々とした墓を占めているのに驚いた。
 しかしそれ以上に、東京にもこんな所があるんだと護国寺の墓地にも歴史を感じた。

 私の記憶では、護国寺とは、徳川、松平家の菩提寺。
 明治以降は宮家の墓所にもなったようだから、明治政府の元勲が本堂裏手の周辺部分に名を連ねていてもおかしくはない。
 とすると、問題は本堂のま裏、爵位ある人達にグルリと囲まれた一番良い場所。淡島千景さんの中川家のある中央部分とは、一体どういった人達の墓だろう。
名だたる明治の元勲より、もっと良い位置を占めている人達とは・・・。
 
 護国寺は、明治以前には徳川家の菩提寺だったと言う。とすると中央こそ、徳川家の重臣、歴代高緑をはんでいた幕臣・旗本たちのお墓ではないだろうか。

 確か淡島さんも生前、私との雑談の中で、
 「そうよ、私の家も、いい家だったのよ・・・。」
 とつぶやいていた事がある。

 淡島さんはこうも言っていた。
「私の家は、日本橋の大きな生地問屋だったのよ・・・。」

 さて、ここからは私の想像なのだが、私は今、浅田次郎さん原作の『椿寺まで』という小説、これがとても気に入って朗読している。
 
 この作品は、徳川幕府の旗本だった主人公の男が、明治維新を期にキッパリと武士を捨て商人に転身し、日本橋に大店(おおだな)の生地問屋を成功させたというもので、その珍しい男の過去をさかのぼる話。

 護国寺本堂裏手の中央にある墓所は、どう考えても軒なみ徳川家の重臣であった由緒ある旗本たちの墓としか思えない。
 とくに、そのまんまん中に広い墓をかまえる淡島千景さんのご先祖中川家とは、よもや明治維新以降に勃興したにわか商人の成功者ではあるまい。
 この墓所は金で買える場所とはとても思えない。
 つまり中川家は、武士を捨て商人になり切って大成功したが、墓地だけは中川家の出自を克明に物語り、何様であったかを明確に証明しているのではないか。

 浅田次郎さんは、小説『椿寺まで』という作品を、全く架空の物語として書いたのか。
 それともモデルがあったのか。
 あるいは、『椿寺まで』の朗読に没頭するあまり、私の想像が暴走したのか・・・

 もはや、淡島千景さんに尋ねるすべはない。
 この事を、浅田次郎さんに聞いてみたい気がしてならない。

 淡島千景さんの戒名は、華優院慈篤慶純大姉(かゆういんじとくけいじゅんたいし)という。
 合掌・・・。
関連記事

▶ Comment

▶ Post comment


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

小林大輔の朗読CD

★朗読CD第1弾「山月記」と、
第2弾の「恩讐の彼方に」、
第3弾の「雪女」「耳なし芳一」
「高瀬舟」から、
一部をご紹介します。
それぞれのCDの解説は
下記にあるCDタイトルから
ご覧ください。







CD「山月記」解説←クリック
CD「恩讐の彼方に」解説←クリック
CD第3弾解説←クリック