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花盛り朗読




朗読「弁財天の使」

Posted by 小林大輔 on 30.2016 日記 0 コメントを投稿
今は亡き作家・菊地寛さんは、作家とは別のもうひとつの顔を持っています。
それは、出版社・文藝春秋社の創業社主という経営者の顔である。

菊地寛さんは、私の故郷 高松市の出身。
私の故郷の先輩で、偉人だ。

私の祖母は存命中しばしば「菊地クワンさんは幼い頃から良くできた子供だった・・・」と彼との交流があったことを思い出話に語っていました。
だから彼の著作「恩讐の彼方に」や「藤十郎の恋」などは、私の朗読の得意な作品として、早くから機会があるごとに朗読し、私は自信があります。

菊地寛は、芥川龍之介と親友で、東大在学中から「二人は将来、共に立派な作家になるだろう」と噂されていた。
菊地寛の方は、京大に転校したが、二人の交際は変わらず続いていたのです。
菊地寛の文藝春秋社が創設した文壇の賞「芥川賞」は、その親友の名を取ったものだが、現在も文壇の最も大きな賞として連綿として続いています。

菊地寛は、多作の作家と言えるだろう。
私は、朗読者としての視点から、彼の著作をたどるうち、二つの作品に注目した。

それは「入れ札」と「弁財天の使」の二作品だ。
この二作品は、朗読者としての技量、テクニックが駆使できるまことに朗読者冥利に尽きる作品だ。
この事に気付いている朗読者は、まずいないだろう。
そもそも、朗読の発表会で、この二作品のうち、どちらかでも選んで朗読している人を、私は見た事がない。

私は、さしあたって、「弁財天の使」の方を、4月4日(月)毎月の朗読会としてやっている原宿で、満を持して初めて朗読する。
お客様が、どのような反応を示すか、私は今から興味津々だ。

ここでの私は、先輩菊地寛さんには僭越なことだが、朗読するために、文章を細かく変えたり、付け足したりの作業を相当施している。
その理由はこうである。
菊地寛さんは、これが活字になって、人々に「読まれる」ことをあくまで完成と思い、それを目指したはずだ。
しかし、私は、その作品を朗読して、人々に音声に変えて「聞かせる」ことを目指している。
このことは、原作者の菊地寛さんですら、予想もしていなかったはずだ。

つまり、朗読とは、作品の二次利用とも言え、「読まれる」こと以外の別なコミュニケーションの手段を新たに持つことになる。ただし、菊地寛さんが、この作品で述べようとした意図は決して変えはしない。
活字で人に「読ませる」時と、音声に変えて人に「伝える」時には、当然別な視点や言葉が無くてはならない。

音声で人に伝えるためには、朗読者は、原作から何を削除し、何を付け加えなければならないのかの的確な判断をする必要がある。
これこそ、朗読者の、言葉に対する高度な能力だ。

もう一度言います。私の主張は、
「活字として読ませること」と、「音声として伝えること」の差異が、当然あるべきだと言うのです。あなたも書き言葉と、話して分からせる言葉とは違うでしょう。

活字で読んでいただく原作を、朗読の場で、そのまま朗読している人は、一見まことに素直な人とも言えますが、私は、この朗読者は、「読む読書」と「聞く朗読」。
この二つのコミュニケーションの方法の違いまで、まだ思いが及んでいない朗読者だと思うのです。

では「入れ札」と「弁財天の使」は、菊地寛の作家の意図を変えずに、どんな風に私が朗読用に具体的に変身させたと思われますか?
それは私が当日、朗読してお聞かせします。

あの朗読名人と言われた徳川夢声ですら、ご自分の著書の中で、
「朗読者は、朗読にふさわしいイメージしやすい言葉に置き変えてあげなければならない。」と言っているのです。
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