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花盛り朗読




生の声の迫力

Posted by 小林大輔 on 09.2016 日記 1 コメントを投稿
名古屋在住の朗読仲間、北村嘉孝さんから、故・徳川夢声さんの朗読CDをシリーズでプレゼントしていただいた。私は嬉しかった。

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昭和の朗読名人、徳川夢声さんの朗読は、亡くなった後まで、ラジオでしばしば紹介されていた。
この当時、まだ子供だった私は、徳川夢声さんの朗読に強烈なインパクトを受けたのを想い出す。
以来、徳川夢声さんの朗読は、私にとって朗読の模範として心に刻まれました。
朗読をやるようになった今でも、私には忘れ難い朗読の師だ。

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徳川夢声さんの朗読の特徴は、ひとつはその「間(ま)」だろう。
つい人は朗読することにせかされて、「間」を取ることを忘れがちだ。
このことを意識して実行できている朗読者を、私はあまり知らない。

そして、もうひとつは、徳川夢声さんの強弱、硬軟自在なセリフの作り方だろう。
これを駆使できているセリフの朗読者は、ほとんどいないとこれも断言できる。

そして、先日私は月一回行っている私の原宿の朗読会で、ゲストとしてご出演いただいた古屋和子さん。
この人の語りの特徴を、あとでじっくり考察してみた。

古屋和子さんの語りを、私は各地に聞き歩いたが、彼女はまず、ついぞマイクを使うということをしない。
つまり、古屋さんの語りの「迫力」は、マイクなしでやる生の声の迫力なのだ、と気がついた。
そして、原宿のスタジオでも彼女はそうだった。

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私はつくづく思う。
世界の語り芸は、おしなべて、マイクなしでやるのが常識だった。
そして我が国の「語り」も、あくまで、生の声でやるのが基本だ。

マイクとスピーカーに増幅された声は、いかにマイクの性能が良くなったとはいえ、機械で加工された人造の声だ。
マイクに依存した脆弱な声だ。
「朗読」「語り」が聞く人に迫って聞こえるのは、マイクなしの人間の生の声の迫力だ。
マイクを通した声では決してない。
だから、マイクを使用する多人数を集めた会場でやる朗読は、本物の朗読ではないと、私は思っている。

人の声は鍛えることによって、かなりな声量が得られる。
少しでも多くの人を集めて自分の生の声で朗読をやろうとするなら、人は自分の声を鍛えるしかない。
しかし、人が声を鍛えることで得られるメリットは、声量ばかりではない。
聞く人に迫ってくる朗読者の声の迫力。
人が自分の声を鍛える本当の意味は、実はここにある。

朗読がブームと言われながら、声を鍛えている人があまりに少ない。朗読が、どうも素人っぽいと感じる原因は、ここにあると私は見ています。
マイクやスピーカーが開発されて、たかだか200年だろうか。
人間は、それ以前に、どれほど自分の生の声の迫力で人に訴えてきただろう。
マイクの発達が、人が自分の声を鍛錬する努力をどれほど奪ったことか。

百歩譲ったとしても、マスの観客を対象にマイクを使用して行うパフォーマンスは、古くからある本来の語り芸とは別物。
マイクが発見されたあとに生まれた新しいタイプの芸能だと思っています。
「朗読」「語り」というなら、マイクを使わず鍛え上げたあなたの生の声で勝負してほしいのです。

鍛えた生の声が届く範囲でやるのが本来の朗読、語りだ。
マイクを使用しなければ成り立たないマス・コミの中でやる朗読が、いかに本物の朗読ではないか・・・。

今は亡き徳川夢声さん。
私のゲストで出演してくれた古屋和子さん。
二人の共通点をあえて見い出すなら、それは生の人の声の「迫力」だと思うのです。
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▶ Comment

私が小林大輔氏の朗読に魅了されたのは、その朗読の生の声の迫力に心魂が揺り動かされたからなのです。

今では、鍛えた生の声は話芸の原点かつ基本だと確信しております。
2016.05.11 22:02 | URL | 北村嘉孝 #- [edit]

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