花盛り朗読




朗読会に向く作品、向かない作品

Posted by 小林大輔 on 15.2018 日記 0 コメントを投稿
朗読会で朗読するのに向く作品と、残念ですが、向かない作品があるような気がしてなりません。
あなたは、この事を真剣に考えたことがあるでしょうか?

あなたがせっかく朗読会に出演していながら、朗読会にはふさわしくない作品を朗読した場合、その結果はなんとも悲惨です。私は朗読会を沢山見て、そのような結果になった例を随分知っています。

お客様はマナー良く聞いて下さって、朗読したあなたに直接「文句がましい」言葉は多分言わないでしょう。
しかし、心の中の本音は、こう言っているのをご存知ですか。
「この朗読者は、なんでこんな作品を朗読したのかしら。
私は、この時間を辛抱して、オーバーに言えば死んだつもりで過ごしていたのよ。
せいぜい一緒に来た人と"終わったら何処かでお茶でも飲もうかしら…"と考えたり、"今日の夕飯は何にしようかしら…"と献立を考えたりして、他のことに気を紛らわせて時間をやり過ごしていたんだから…。そうでもしないと、この時間が持たなかったわね」
これが本音です。

文学作品には大きく分けて、純文学と大衆文学があります。

自分の書斎でひとり静かに文学作品を味わう時には、純文学は向いています。
純文学はおしなべて、かなり高度で、理屈っぽい作品、比喩的な作品が多く、一言で言うなら分かりにくい作品、良く言うと奥が深い作品がこれに当たります。

一方、大衆文学は、きわめて表面的で平易。感動あり、ホロリとした人情ものあり、一言で言えば、分かり易い文学作品です。

さて、朗読会の場とはどういう場だと思いますか?

観客の多い、少ないという差はありましょうが、朗読会とはどこかの場所まで交通費をかけて出ていき、その上、入場するには決められた料金を支払って会場に入場する。
そして複数の人に混じって朗読を聴く…。
これは、「コンサート」や「お芝居」に、あなたが出掛けたのと似ています。

それならば、これはあくまで「娯楽」の場。エンタテインメントの場です。

とすると、本来ひとり静かに書斎で読むはずの「純文学」の作品をこんな朗読会の会場で朗読されたとしても、全く合わない作品であることはお分かりでしょう。

娯楽の場は、あくまで「観客の満足」が中心です。
観客に焦点を絞った出し物でなければなりません。
間違っても、出演する人の満足や、出演する人の思いを晴らす場ではないのです。

出演者だけが気持ちよくて観客が置いてきぼりを食った出し物は「娯楽」とは言えません。
「娯楽」なら、いい気持ちになるのは、あくまで聴衆。お客様です。さあ、これで大分分かってきたでしょう。

文学賞には、例えば芥川賞と直木賞があります。
この2つの賞の差を、私は正確には知りませんが、芥川賞が純文学。直木賞が大衆文学と区分けすることができるでしょう。

とすると、一般的には朗読に向くのは直木賞を受賞した作家の作品と言うことができます。

しかし、文豪と言われる人、森鴎外や夏目漱石や芥川龍之介も作品によっては朗読に向く作品も一部あります。

これらは、いろんな朗読会を聞き歩いている私に、個々の作品について尋ねてみてください。
懇切丁寧にアドバイスいたします。

何しろ、朗読会に向かない作品を朗読した場合、その結果はまことに悲惨です。
そう言う朗読会って多いんですよ。
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